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36件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2019-11-14 第200回国会 衆議院 憲法審査会 第3号

私が住む沖縄は、あのありったけ地獄を集めた沖縄戦が終結した後、アメリカの直接軍事支配下に置かれ、無憲法下日常を強いられました。一九七二年五月の日本復帰により憲法が適用されるようになりましたが、同時に日米安保条約や日米地位協定も適用され、憲法法体系より安保法体系が優先する反憲法下日常を今日まで強いられております。  

照屋寛徳

2016-11-17 第192回国会 衆議院 憲法審査会 第2号

終戦後も、アメリカの直接軍事支配下に置かれ、憲法が全く適用されない無憲法下に置かれました。このようなアメリカ軍事支配下で、沖縄県民日本国憲法に希望を求めて復帰運動を闘ったのであります。国民主権平和主義立憲主義をうたった日本国憲法を制定する帝国議会沖縄代表を送ることすら許されなかったことを忘れてはいけません。  一九七二年五月十五日に復帰が実現し、沖縄にも待望の憲法が適用されました。

照屋寛徳

2012-08-02 第180回国会 衆議院 憲法審査会 第8号

照屋委員 先ほど、制限時間との関係で、政党についての意見を手短に述べましたけれども、関連して、いつも私が言うように、沖縄においては、敗戦後二十七年間、アメリカ軍事支配下憲法が全く適用されないという状況が強いられておりました。その中にあって、結社の自由の保障は全くありませんでした。

照屋寛徳

2012-03-06 第180回国会 衆議院 予算委員会 第20号

照屋委員 命どぅ宝というのは、琉球王朝以来、国策に翻弄され、あの悲惨な沖縄戦では二十万余のとうとい命が失われ、敗戦後の二十七年に及ぶアメリカ軍事支配下で不条理にも命が奪われた、その中から命こそ宝なんだよという沖縄思いがこもった言葉なんだ。だから、ぜひ総理には、命どぅ宝、この言葉を、私は、胸に深く深く刻んでいただきたいと思います。  

照屋寛徳

2007-05-16 第166回国会 衆議院 外務委員会 第12号

思い起こすと、一九四五年から一九七二年五月十五日までのアメリカ軍事支配下の二十七年よりも、七二年復帰後の長い歴史を刻んだことになります。  復帰三十五周年に当たり、地元沖縄タイムス社が実施した県民世論調査では、復帰してよかったと評価する者が八九・三%に上っております。琉球新報の調査でも、八二・三%の人が復帰を評価する回答を寄せており、県民の多くが復帰を肯定的に評価しているものと思われます。

照屋寛徳

2004-11-25 第161回国会 衆議院 憲法調査会公聴会 第3号

照屋委員 私は、基地の島、沖縄選出国会議員ですけれども、沖縄では、一九四五年から一九七二年までアメリカ軍事支配下に置かれて、日本国憲法が全く適用されない、無憲法下状況にありました。当然、そのときには渡航の自由もありませんでした。そういう中で、私たちは、一九七二年に平和憲法のもとに復帰をしたわけですが、復帰して三十二年たちました。

照屋寛徳

2004-03-01 第159回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号

一九四五年、ありったけ地獄を集めたような戦争であったと言われる沖縄戦が終わって、直ちに米軍軍事支配下に置かれたわけでありますが、一九四五年から一九七二年、復帰が実現するまでの二十七年間をいわば超えたわけでありますね。復帰後の方が長くなりました。  この間、三次にわたる沖縄振興開発計画が、政府責任で、国の責任で取り組まれてまいりました。

照屋寛徳

2001-05-22 第151回国会 参議院 予算委員会 第15号

そして、沖縄アメリカ軍事支配下のもとで二十七年余、憲法が適用されない、そういう時期がありました。いまだに私たち基地の重圧で苦しんでおります。この国の安全保障、これの犠牲をひたすら強いられているわけであります。  憲法の理念と基地沖縄については、総理はどういうふうにお思いでしょうか。

照屋寛徳

2001-03-22 第151回国会 参議院 内閣委員会 第3号

照屋寛徳君 これ以上やっても何か禅問答みたいになっちゃうおそれがあるんですが、ぜひここのところは、かつての私たちが二十七年間まさにアメリカ軍事支配下に置かれてやりたい放題というか、今でも米軍人軍属の犯罪によってひどい目に遭っているわけですよ。つい最近はまた自衛隊の幹部までああいう本当にもう恐ろしいような、言葉を失うような女子中学生暴行事件なんというのも発生しているわけです。  

照屋寛徳

1999-12-10 第146回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

照屋寛徳君 私は、サイパン島のアメリカ軍捕虜収容所で産まれて、それから二十七年間アメリカ軍事支配下沖縄で生きて、それから日本復帰した二十七年間、合計五十四年間生きてまいりまして、五十四歳であります。  私に与えられた時間はわずか十分間でありますので、要領よくお答えをいただきたいというふうに思います。  久しぶりに河野外務大臣の所信をこの場所でお聞きいたしました。  

照屋寛徳

1999-05-13 第145回国会 参議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会 第6号

それは、あの第二次世界大戦での犠牲を根元的な背景として、そしてその後の米軍支配下における、つまり軍事支配下における実態に即して、平和こそ沖縄の心だと。それは、自分らが戦争によって犠牲にされている、日常的に爆音被害、あるいは軍人による暴行等被害、あるいは環境破壊等々無数の基地被害をこうむっていますけれども、と同時に、自分らの痛みは他人の痛みでもあるんだと。

金城睦

1999-02-23 第145回国会 参議院 予算委員会 第3号

照屋寛徳君 沖縄戦争が終わって二十七年間アメリカ軍事支配下に置かれました。そして、沖縄基地を集中的に置いているのは、ソ連日本を攻めてくるかもしらぬ、そのために日本の平和を守るために沖縄基地を置いているのだと言われてきました。そのソ連が崩壊した後もなお変わらぬ過密な米軍基地沖縄に置いているわけであります。  

照屋寛徳

1998-08-24 第143回国会 参議院 予算委員会 第4号

さらに、沖縄日本独立と引きかえに二十七年間の長い間アメリカ軍事支配下に放置された、これはまさに政府の人の道に反する行為の結果だと。そして、戦後五十三年余り日本安全保障犠牲負担沖縄は強いられてきた。  しかしながら、私ども県民からすると、みずからは痛みを分かち合おうとしない本土人々行為、これこそ私は人の道に反することだ。  

照屋寛徳

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